創設20年。再び注目が集まる城西大学薬科学科「コスメ&サイエンス」の、これまでの道のりと現在地。

【CROSS TALK】 創設20年。再び注目が集まる城西大学薬科学科「コスメ&サイエンス」の、これまでの道のりと現在地。

「薬学部で化粧品を専門的に研究する」。いまでこそ珍しくないこの発想を、いち早く形にしたのが城西大学薬学部・薬科学科、通称「コスメ&サイエンス」でした。2006年の立ち上げから、今年で20年目を迎えます。佐賀大学で新設された「コスメティックサイエンス学環」を牽引し、メディアでも注目を集める徳留嘉寛教授もまた、1999年から2003年に「ポーラ」からの研究生として杉林堅次先生の研究室に所属し、2015年から2021年まで城西大学で教壇に立っていた人物。まさに化粧品研究の源流といえる城西大学の薬科学科はいかにして創設され、発展を続けてきたのか。研究と教育の最前線に立つ片倉賢紀先生と、20年前に薬科学科を立ち上げた城西大学特命教授・杉林先生に話を聞きました。

片倉賢紀先生に聞く、コスメ&サイエンスの「今」。

片倉賢紀教授
片倉賢紀
1976年、島根県生まれ。城西大学薬学部薬科学科教授。城西大学卒業後、博士課程に進み研究の道へ。島根大学医学部に9年半勤務し、2010〜2011年には米国メリーランド州の研究機関「アメリカ国立衛生研究所(NIH)」に留学。2015年に城西大学へ戻り、現在は生理学・解剖学を担当する。

片倉先生は現在、どのような研究・開発を行っているのでしょうか?

片倉 私自身は生理学が専門で、魚の油に含まれるDHAが脳や腎臓に与える影響について研究をしています。化粧品そのものの開発はしていないのですが、肌のバリア機能を担う脂質、つまり油分の研究は、化粧品と直接つながる領域。油分が多すぎても少なすぎても、肌のバリア機能は落ちてしまう。そうした部分では、ほかの先生方とも連携をとることがあります。

城西大学の薬科学科(コスメ&サイエンス)の最大の強みはなんだとお考えですか?

片倉 化粧品を専門に扱う学科は、他大学にもたくさんありますが、そこで学べる領域は化粧品のみなんですね。一方で城西大学の薬科学科は、たとえば機能性食品や医薬品などの領域も幅広く学ぶことができます。

多角的な視野を持てると。

片倉 そうですね。同じ化粧品でも、いろんな視点から捉えられるようになります。薬科学科は化粧品を学びたくて入学する方が多いのですが、いろいろな分野を知るなかで、化粧品以外の方面に進む学生も少なくありません。

大学では「専門性が高い方がいい」という風潮もありますが、城西大学の薬科学科は、専門性を深めながら、もともとの興味の外側にある分野に触れられる機会が多いんです。

具体的に、城西大学の薬科学科では、どんな授業を行うんでしょうか?

片倉 代表的なものを挙げるとすると、1年生から他学部・他学科と共同で化粧品をゼロから製品化するプログラムがあります。成分選びや使用感は薬科学科が担い、パッケージデザインやペルソナ設計は文系の学生が担当する。学生たちが協創しながら、ゼロから商品を形にする実践的な学びです。

薬学のみならず、マーケティングの領域にも触れる機会があるということですね。

片倉 そうなんです。

ほかに特筆すべき点があれば教えてください。

栄養生理学研究室にて

片倉 城西大学の薬科学科では、3年生の秋から研究室に配属されます。大学院まで進むとなると、3年半ほど研究室で実験を重ねることになりますよね。これは他大学より長いので、研究するための土台はしっかり作れます。なので、化粧品業界の方々からも「城西大学の学生は研究開発の基礎的な知識・技術がある」という評価をいただいているように感じます。

卒業後は、どういった進路が多いのでしょうか?

片倉 年によって異なりますが、学部卒業生の5〜7割は大学院に進みます。そこから化粧品メーカーの研究者になる人もいれば、製薬会社の化粧品部門に就く人もいます。

埼玉県はコスメ王国と呼ばれるほど、化粧品を製造している企業が多いです。そのなかで城西大学はどんな役割を担っていくべきと考えていますか?

片倉 埼玉の化粧品会社は、技術を持った人材が不足しているんです。そのため、城西大学からそうした人材を供給できる仕組みがあれば、地元出身の学生が地元に残る流れも作れるはずですし、埼玉自体も盛り上がっていくことに繋がるのかなと。それに、化粧品や医薬品の製造は、埼玉県を支える産業でもあります。それを維持するためにも、大学と産業界がまとまっていくことも必要だと考えています。

ありがとうございます。薬科学科の今後の展望についても教えてください。

片倉 化粧品はこれまで、見た目や香り、流行で選ばれることが多かったのですが、今は機能性への関心が高まっています。機能性を評価するには、肌のことも、化合物のことも知らなければならない。安全性と有効性、その両方を考えられる薬学の視点は、これからますます必要とされると思います。城西大学ではそうした人材を育てられる環境があるので、いま以上に多くの方に我々の取り組みを知っていただき、地域とも連携をとりながら、広がっていけば嬉しいですね。

杉林堅次先生に聞く、コスメ&サイエンス創設の原点。

杉林堅次特命教授
杉林堅次
1951年、滋賀県生まれ。城西大学特命教授。修士課程修了後、24歳で城西大学に赴任し在籍50年を超える。専門は薬物の経皮吸収研究。日本香粧品学会名誉会員などを歴任。2006年、城西大学薬学部に化粧品研究を柱とする「薬科学科(コスメ&サイエンス)」を創設。

まずは20年前に「薬科学科(コスメ&サイエンス)」を設立された経緯から教えてください。

杉林 私は学生時代から、薬物が皮膚からどう吸収されるかというテーマを研究していました。当時の日本ではまだ数少ない研究領域だったのですが、博士の学位を取得した後、アメリカでまた同様の研究を行いました。そこから帰国し、城西大学でも研究を続けていたところ、図らずも「日本香粧品学会」に呼ばれたんです。

そこではどんな議論がされていたんでしょうか?

杉林 「資生堂」「花王」「コーセー」「ポーラ」をはじめとする企業の研究者たちが、美白や紫外線対策の成分などについて真剣に議論していました。そのとき、化粧品をサイエンスとして、もう一度見直す必要があると感じました。

それが薬科学科の設立につながったと。

杉林 はい。日本で長く経皮吸収を研究してきた人はほとんどいなかったので、自分が関わらなければという使命感もあり、2006年に「薬科学科(コスメ&サイエンス)」を新設しました。いまもですが、20年前から、城西大学の薬学部には薬剤師を育てる薬学科と、管理栄養士を育てる医療栄養学科がありました。だったら医薬品はもちろん化粧品や機能性食品を開発する学科があってもいいだろうと考えたんです。

「薬学」と「化粧品」を結びつける学科ということですが、そこにどんな可能性を見出していたのでしょうか?

杉林 戦後すぐくらいまで、化粧品による肌トラブルが問題になっていたときがありました。その原因は、粗悪な原料を使っていたり、組み合わせてはいけないふたつの成分を混ぜたりしていたからでした。それは薬学の知識がなかったからで、当時の化粧品開発者が薬学を知っていればそうはならなかったはず。「日本香粧品学会」で学ぶなかで、薬学と化粧品、ふたつをかけあわせれば、よりよいものが作れるだろうと思ったんです。

杉林先生個人でいえば「パナソニック」とイオン美顔器を製作し、大ヒットとなりましたよね。

杉林 あるときから「パナソニック」の技術者が、毎年私のところに来るようになっていました。私のアイデアから生まれたのがこの製品なんです。

美容液をより肌に染み込ませる機械ですが、どこからこのアイデアが生まれたのでしょうか?

杉林 遺伝子導入です。私は1990年ごろから、肌からの美容成分の浸透効果に及ぼす遺伝子導入に用いられるいろいろな方法を試していて、「こうした方法を使えば、より効率的に成分が皮膚に吸収される」という結果が得られていましや。その技術を美容機器に転用したんです。結果的に、「アットコスメ」でもランキング一位になりました(笑)。

創設から20年が経ったいま、手応えなどは感じています?

杉林 埼玉県はもともと医薬品の生産量が日本一で、化粧品の分野でも全国2位です。そうした地域性もあり、いまは学科を通じて、地元の化粧品会社の支えになれるところまで来られたと感じています。

一方で、課題なども見えているのでしょうか?

杉林 地域連携をさらに進めた方がいいと思っています。そのなかで最大の問題は、埼玉県が抱える精神的過疎ですよね。地元に誇りを持つ人が少ないですし、埼玉県の優秀な高校生はほとんどが都内の大学へ行ってしまう。大学を卒業したら、そのまま都内で働く人も多い。こんなに人口が多い県なのに、地域のなかでいい循環が生まれていません。ここは大学や企業、自治体などが連携し、根本から変えていく必要があると思います。

最後に、これから入学する学生たちにメッセージをお願いします。

杉林 仕事のためではなく、純粋に自分の好きなことを見つけてほしいですね。「給料が高い」「仕事が楽」というだけではモチベーションは長続きしません。楽しさが土台にあることが大切です。友達を大事にして、世の中をしっかり見て、できれば海外の人たちが何を考えているかにも触れながら、勉学に励んでもらいたいですね。

戻る

ページトップへ