浮世絵は楽し

水田三喜男創立者 水田三喜男


雑誌『浮世絵』の雑誌『浮世絵』の特別号に、所蔵のものが解説紹介されるときいて、嬉しいような恥ずかしい気持ちです。それに私のばあい浮世絵を愛好するようになった動機が少しいわく付きで、面白いのです。今からもう三十五年も前の話です。

まだ学生であった頃の或る日「日本人の長蹠筋・短蹠筋の研究」で、当時有名になった某博士から、浮世絵のいわゆる秘画について長い講義をきかされたのですが、それは吉田暎二先生のように鑑賞のうえからの解説とは違って終始一貫、解剖学者としての立場から説明されたものでした。大家の作品と、そうでないものとは一見して区別ができるというのです。春信にせよ清長や歌麿にせよ、およそ名匠の描いているものは、それぞれ瞬間における姿態と微妙な手、足の指の動きなどが、解剖学の上からみても、描く法則にかなっていて誤りがないというのです。そして最後に、「解剖学に従事すること四十年、お陰をもって習得したものは、秘画を通して浮世絵の鑑定という余技でした。」と言って笑っておられたのです。

その席上、博士の説明にいちばん感嘆されたのが、謹厳そのものの河上肇先生でした。やはり一芸に通ずることは尊いことだと何度も独り言をいわれたあの痩軀、鶴のような先生の姿がまだありありと眼に浮かびます。若い学生たちであっただけに私どもは新鮮な興味をもたせられ、それからつぎつぎに浮世絵師の名前などを覚えていくようになりました。
また吉井勇氏の短歌によって、写楽に関心をもつようになりましたが、そのころはむろん作品を手に入れる余裕はありませんでした。

(中略)

いずれにせよ、浮世絵は美しいものです。そこには何ともいえぬ歴史の懐しさがにじみ出ています。浮世絵の美人画、風俗画をじっと見つめていると、この国の民族をいとおしみ、民族を愛する気持ちが自然に湧きおこってきます。池田総理は「石を愛する心持ちはそのまま国土愛につながって行くものである」といわれていますが、宰相の心構えとしては敬意を表します。しかしながら、石よりは、やはり美人画のほうがいいようです。ですから、日本の政治家が、与党も、野党もみんな揃って、「暁の牛歩」などをやらないで、浮世絵の愛好者に転向するならば、民族への愛情、国土への愛情に根ざした、いい政治が生まれて来はしまいかと夢想しています。 (『季刊浮世絵』第六冊 特別号 緑園書房、一九六三年九月)