美術館について

城西大学水田美術館は、本学の創立者である水田三喜男が生前に蒐集された浮世絵コレクションを母胎として、1979年3月に水田記念図書館棟8階に創設されました。浮世絵をご鑑賞いただくとともに、日本の文化の発展に寄与することを目的として、コレクションの公開を行っております。現在の水田美術館は、城西大学創立45周年記念事業の一環として新たに2011年12月に開館いたしました。

水田コレクションは、浮世絵を中心に200点余りからなり、浮世絵の発生期から近代日本画に至るまでその発展過程を所蔵作品によってたどることができます。また、貴重な写楽作品を9点所蔵しております。

施設概要

Equipment outline

城西大学水田美術館 外観
施工年月 2011年11月
構造・規模 RC造(一部S造)・地上2階
延べ面積 666.46m2
設計 Studio SUMO
株式会社大林組一級建築士事務所
施工 株式会社大林組東京本店

フロアマップ

Floor map

城西大学水田美術館 フロアマップ図
  • 2階 ギャラリー1
  • 2階 ギャラリー2
  • 1階 摺り体験コーナー

半地下2階建て構造による当館には、2階部分に受付とともに2つの展示室があります。展示室では、水田コレクションをはじめとする浮世絵から先鋭的な現代美術まで、幅広く様々な展示がここで行われます。また、展覧会に関連したパネル解説や、浮世絵版画の制作工程を定期的に紹介するなど、当館ならではの特色に沿った展示もご覧頂いています。1階部分は、映像コーナー、休憩スペースとお手洗いが設けられています。その他、展覧会により、浮世絵版画の摺りが体験できるコーナーも設置しています。
また、図録やポストカードなどのミュージアムグッズや、大学マスコットキャラクターのぬいぐるみをはじめとした大学グッズの販売も行っています。

水田三喜男と水田美術館の歩み

History of Mikio Mizuta and the Mizuta Museum

城西大学創立者・初代学長
水田三喜男(1905-76)

水田と浮世絵との出会いは学生時代に遡ります。解剖学の何某博士の講義の中で、浮世絵のいわゆる秘画についての話があった際、春信にせよ、清長や歌麿にせよ、およそ巨匠の描いているものは、それぞれの瞬間における姿態と微妙な手、足の指の動きなどが、解剖学の上からみても、描く法則にかなっていて誤りがないと。水田は博士の講義から浮世絵に新鮮な興味を持ち、次第に浮世絵師の名前などを覚えていくようになりました。

初期の水田コレクションは第二次世界大戦で焼失してしまいましたが、戦後再開した蒐集品のうち、オランダから里帰りした写楽作品7点、後に2点を加え9点となった役者絵版画は、水田コレクションの価値を大いに高めることとなりました。

さらに、浮世絵版画に錦絵という多色摺り木版画なる新たな表現形式を創始した功績で知られる鈴木春信の《六玉川》6枚揃いをセットで所蔵しているのは、当館とメトロポリタン美術館(ニューヨーク)のみとなっています。

水田コレクションの浮世絵は、役者絵と美人画という浮世絵の二大テーマが中心となっており、古き良き日本人の風俗表現に関心が集中しています。私達の祖先である江戸の人々の日々の暮らしや営みの様子を伝えてくれる浮世絵に、慈しみの眼差しを向け、心を解していたことと思われます。
このように水田が浮世絵に対して抱いた愛しむ気持ちは、時を経て現代の私達の中にも自然と根付いていることでしょう。

略年譜

1905年(明治38) 4月13日、水田三喜男、千葉県安房郡曽呂村に生れる。
1928年(昭和3)頃 京都帝国大学在学中、浮世絵に関心を持つ。戦前、浮世絵を数点購入するが、戦災で失う。
1946年(昭和21) 第22回衆議院選挙で自由党から出馬、初当選。戦後、ふたたび浮世絵収集を始める。
1960年(昭和35) 第1次池田内閣、大蔵大臣。以後7回、12年にわたり大蔵大臣を務める。
1963年(昭和38) 「水田コレクション特集」(『季刊浮世絵』第6冊特別増刊号、緑園書房)に「浮世絵は楽し」を寄稿する。
1965年(昭和40) 学校法人城西大学を設立、城西大学(埼玉県坂戸市)開学、初代理事長兼学長となる。
1973年(昭和48) 中国葛飾北斎展開催、日中文化交流使節団長として訪中。
1976年(昭和51) 12月22日、病気にて急逝、享年71。
学校法人城西大学に「水田コレクション」寄贈される。
1979年(昭和54) 城西大学水田記念図書館8階に水田美術館開館。
1992年(平成4) 城西国際大学(千葉県東金市)開学。
2001年(平成13) 城西国際大学開学10周年。図書館棟1階に城西国際大学水田美術館開館。
2009年(平成21) 水田家より鈴木春信《六玉川》が寄贈される。
2011年(平成23) 12月9日、城西大学水田美術館が現在の場所に新装開館。
2013年(平成25) 水田家より宮川長春《江戸風俗図巻》など肉筆浮世絵5点、上村松園《美人納涼図》など近代日本画7点が寄贈される。

浮世絵は楽し

The Joy of Ukiyo-e

雑誌『浮世絵』の特別号に、所蔵のものが解説紹介されるときいて、嬉しいような恥ずかしい気持ちです。それに私のばあい浮世絵を愛好するようになった動機が少しいわく付きで、面白いのです。今からもう三十五年も前の話です。

まだ学生であった頃の或る日「日本人の長蹠筋・短蹠筋の研究」で、当時有名になった某博士から、浮世絵のいわゆる秘画について長い講義をきかされたのですが、それは吉田暎二先生のように鑑賞のうえからの解説とは違って終始一貫、解剖学者としての立場から説明されたものでした。大家の作品と、そうでないものとは一見して区別ができるというのです。春信にせよ清長や歌麿にせよ、およそ名匠の描いているものは、それぞれの瞬間における姿態と微妙な手、足の指の動きなどが、解剖学の上からみても、描く法則にかなっていて誤りがないというのです。そして最後に、「解剖学に従事すること四十年、お陰をもって習得したものは、秘画を通して浮世絵の鑑定という余技でした。」と言って笑っておられたのです。

その席上、博士の説明にいちばん感嘆されたのが、謹厳そのものの河上肇先生でした。やはり一芸に通ずることは尊いことだと何度も独り言をいわれたあの痩軀、鶴のような先生の姿がまだありありと眼に浮かびます。若い学生たちであっただけに私どもは新鮮な興味をもたせられ、それからつぎつぎに浮世絵師の名前などを覚えていくようになりました。
また吉井勇氏の短歌によって、写楽に関心をもつようになりましたが、そのころはむろん作品を手に入れる余裕はありませんでした。

(中略)

いずれにせよ、浮世絵は楽しいものです。そこには何ともいえぬ歴史の懐しさがにじみ出ています。浮世絵の美人画、風俗画をじっと見つめていると、この国の民族をいとおしみ、民族を愛する気持ちが自然に湧きおこってきます。池田総理は「石を愛する心持ちはそのまま国土愛につながって行くものである」といわれていますが、宰相の心構えとしては敬意を表します。しかしながら、石よりは、やはり美人画のほうがいいようです。ですから、日本の政治家が、与党も、野党もみんな揃って、「暁の牛歩」などをやらないで、浮世絵の愛好者に転向するならば、民族への愛情、国土への愛情に根ざした、いい政治が生まれて来はしまいかと夢想しています。

(『季刊浮世絵』第六冊 特別号 緑園書房、1963年9月)

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