楊洲周延

時代かゞみ 寛永之頃 洗湯がへり

明治29年(1896)
大判錦絵五十三枚揃のうち
明治29年(1896)から翌30年にかけて制作された明治の浮世絵師、楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)による美人画の代表作《時代かゞみ》。
本作は、建武時代から明治半ばまでのおよそ500年間の長きに渡る、各時代の美人の姿が当時の髪型と装いで描かれていて、美人の変遷を辿ることができる。画面下段に美人図を配し、上段には該当する時代に流行していた 芸能、文化、職業、行事等が描かれているため、美人像の変遷を見つつ、歴史の移り変わりも同時に確認できる。中世から近代までの歴史を振り返りながら、美人画の流れも楽しめる。

【上部説明】
本図は、「洗湯がへり」とあることから、銭湯風呂からの帰り道での様子を描いた図となる。洗い髪のままでいて、まさに風呂上りの気分がさっぱりとした様子が伝わって来る。6世紀の仏教伝来により、奈良時代に始まった寺院での施浴が風呂の始まりとされている。平安時代末頃には銭湯の先駆けとなる「湯屋」が登場、鎌倉、室町と経て庶民でも富裕な人々は家に風呂を持ち、近隣や縁者等を招いて「風呂ふるまい」も行うほどであった。江戸時代に入り、最初の銭湯となったのが、天正19年(1591)に伊勢与市なるものが銭甕橋に建てた銭湯風呂と言われている。江戸初期の頃は蒸し風呂であったが、慶長年間末頃には、たっぷりの湯をはり首までつかる「据え風呂」が登場した。

【下部説明】
寛永年間は1624年~45年の期間を指す。
本図に描かれているのは、寛永期頃の少女の姿である。髫髪放髪(うないはなり)という、うなじのあたりまで垂らした、結い上げないで振分髪のままにした髪型となり、これは10代前半頃の少女がしていた。縫箔の煌びやかな着物を身に纏い、狆を抱きかかえている様子が描かれている。

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