三代歌川豊国/二代歌川広重

観音霊験記 秩父順礼 一番 四萬部寺 幻通比丘

安政6年(1859)
大判錦絵百一枚揃のうち
観音霊験記 秩父順礼について
寺社参詣は、人々の信仰心を高めるものとして、貴族や修験僧、僧侶など特定の身分において古来より行われていました。時代が下るにつれて民衆化し、江戸時代では、 経済の発展や交通網の整備が気軽な旅へと人々を誘い、「江ノ島詣」や「伊勢参り」の大流行を生み出すなど、「信仰」としてだけではなく、「物見遊山」としてもより身近な対象になっていきます。
 埼玉県秩父市に点在する三十四ヶ所の観音霊場を廻る秩父巡礼は、当初、西国三十三札所、板東三十三札所にならい、三十三の札所を巡るものでしたが、 17世紀前半頃より三十四の札所へと変わり、 以降三つの巡礼を合せて「日本百観音」と呼び、広く親しまれるようになります。
 百観音霊場を取り扱った浮世絵《観音霊験記》から秩父の部分を描いた《観音霊験記 秩父順礼》。本作は、各霊場の縁起を三代歌川豊国、二代歌川国貞が描き、境内の景観を二代歌川広重が描いたもので、幕末期の観音霊場紹介の資料としても貴重です。

上部の扁額の中では境内の風景が描かれ、その下に霊験に関する出来事が描かれる。上空より俯瞰した視点で境内の全景が描き込まれている。左手前の山門の前には、「普陀場壱番」と書かれた大きな石碑が立っており、ここが巡礼の始めであると分かる。山門入って左手には経典四万部が納められた経塚「四万部塚」と「札堂」が描かれる。そして、奥へと視線を向けると、大きな観音堂が目に入ってくる。

TOP