歌川国貞(三代歌川豊国)

松山やきう稲荷の図

文化8年~天保13年(1811~42)頃
大判錦絵三枚続
役者達一行が稲荷詣をする様子を大判三枚続の中に描いた一図。題箋部分に「松山やきう稲荷乃図」と書かれているが、これは埼玉県東松山市に現在もある箭弓稲荷神社のことを指している。社記によれば、七代目市川團十郎は箭弓神社を特に崇敬し、社に籠って芸道精進、大願成就の祈願をしたところ、大入りとなったことから、神威に深く感謝し、文政4年(1821)境内に石造りの祠を建立したとあり、以降江戸の役者や花柳界といった芸能に関わる人々から、芸能・商売繁盛の守り神として厚い信仰を集めたという。

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