グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ


建学の精神


学問による人間形成
われわれが、昭和40年4月に総合大学として城西大学を創設したのは、一つには、近来向上しつつある国民の進学要望に応えるためであり、二つには、国家社会のよりよき形成者としての人材の育成は、既成の大学だけでは充分でないと考えたからである。
いうまでもなく、学問はそれ自体が目的ではなく、あくまでも人間形成の手段である。立派な人間によってのみ、立派な社会がつくられるのだから、現世のために、後世のために、国家社会の重荷にたえられる人材の教育を天職として、挙学その責に任じたいと考え、この大学を創設したのである。
そのためには、大学の校地は都塵を避けた秩父山麓欅ヶ丘の高台に、富士山と上毛の山々と高麗の清流を望む広大な地域を選び新しい施設と設備を造りあげた。

この絶好の教育の場に、優れた研究者で識見の高い教育家を教授陣に迎え、その智と和を一体とした熱意ある指導のもとに、高き理想をもち、真理と正義にひたむきで、英知と人間愛と勇気に充ち、精神的推進力を持った現下社会の要求する有用な人材の育成を目指して、特色ある学風を創り、国家社会の発展に寄与したいと念願している。
大学はまた、われわれが日々生活をともにしている自然ならびに社会に関する基礎的な理論とその歴史的な発展の諸法則を科学的に研究すると共に、実社会において、その応用能力を発揮するための思考力と実践力を身につけることを主眼として学生の教育に当たっているが、この武蔵野の一角に、その象徴としての欅の大樹のように、新しい文化の創造育成につとめたい。

創立者水田 三喜男

創立者 水田 三喜男

名誉理事長 水田 清子

学校法人 城西大学
名誉理事長 水田 清子

石蕗の花 遺業をまもり 余生守り 清子

石蕗の花 遺業をまもり 余生守り
清子


創立者の若き日の夢と理想、
情熱が今も息づいています。


本学の創立者・水田三喜男は1905年(明治38年)、千葉県安房郡に生まれ、安房中学から水戸高校を経て京都大学法学部に進みました。学生時代は反戦・反軍の学生運動に参加するなど、新しい社会づくりのために情熱を燃やす若者でした。1946年(昭和21年)には戦後初の衆議院選挙で初当選し、以来30年にわたって、通産大臣・大蔵大臣を歴任するなど、日本の経済復興と成長に尽力したことは高く評価されています。

一方、若き日に小学校の教壇に立って以来、「教育」に対する熱意も大きく、「国をつくるためには、優秀で、人間としての魅力にあふれた人材を育てなければならない」と考え、義務教育費や文教施設費の国庫負担や私学助成の事業にも力を注ぎました。そして、1965年(昭和40年)4月には城西大学を創立し、若き日からの教育に対する夢を実現したのです。

水田三喜男が終生座右の銘としたのが、「偽らず、欺かず、媚びず」でした。城西大学は、学問・研究だけでなく、豊かな人間性を持ち、お互いが尊敬しあえるような人材を育成し、それによって未来の希望ある国や社会を建設していこうという、水田三喜男の青年時代からの夢を実現し、実行していく教育の場なのです。その建学の理念である「学問による人間形成」は、今も確実に本学のキャンパスに息づいています。
  1. ホーム
  2.  >  大学案内
  3.  >  大学概要
  4.  >  建学の精神